祭礼の由来

 《宮坂の由来》

宮坂の名前の由来は、昔小浜神社が権現森の傍にあったとき、その坂の前に住んでいた為、お宮の前でおんまえ⇒おみや坂村⇒宮坂村

となって行った。


《黒津船地内の由来》

 黒津船権現(小浜神社)に奉仕する人々が門前に集落を作り、小浜神社の魚取部で七軒であったたが、その後分家などで十三軒となった。

 安政六年(1859年)には、家数三十三戸で男121人・女99人となり、宮坂村とは別に村役人を置いた集落であり、加賀藩前田家の家紋

梅鉢の紋を頂いたので、旗印に梅鉢の紋入りの旗を使用し、今も黒津船地内の獅子頭に梅鉢の紋がついている。

 昔は、小浜神社の大祭に三十八ケ村の獅子頭が全部集まった時でも、黒津船の紋入り獅子が1番先に神社に上がらないと他の獅子が上

がれない習慣がたった。


《祭礼について》

 その地域、部落には必ずお祭があります。

 加賀の祭りには、獅子頭が特徴であり、お神輿のお供をする習慣であり、獅子頭には棒振りがあるのは、悪魔を退治すると云う習わし

が昔から伝えられており棒振りの型には、何十種類の型がある。加賀藩の剣士、草深甚四郎が草分けとも言われる説がある。

 宮坂と黒津船の型は、違っており獅子振りの型も違っておる。獅子振りには上段・中段・下段の3段構えがある。

 行列の先頭には獅子頭の先払いがついて、天狗・奴・神主・区役員・お神輿・子供神輿・後払い獅子の順にて行列をつくる。


《奴》

 奴行列については、その当時(昭和25年頃)の宮坂や黒津船の船頭・機関士全員で、奴の道具一式を寄付し、振り付けについては、

五郎島の方にて取得したものである。

 尚、初代天狗は谷与三松氏である。