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Muro Community Center

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〒920-0261 石川県河北郡内灘町室イ-79-1

室 青塚muro aotsuka historic spot

室公民館報 青塚創刊号より


『青塚』町指定天然記念物

祠にまつわるお話
幕末期〜明治期
昔むかし、室と西荒屋の浜境に「青塚」と呼ばれる大きな丘がありました。
林と畑地の開発で今は面影が消えてしまいましたが、昔は砂丘の中に権現森とこの「青塚」だけが青くみえたそうです。
ところで、昔はこの当たりによく鯨が回遊し藩政期も末頃、西荒屋の団九郎爺が捕鯨に着手しました。
爺は捕鯨の根拠地として海が一望できるこの「青塚」に網場を置き鯨の群れが来るのを見張ったそうです。
こうして鯨が捕獲されると村人、老若男女が浜に出て陸揚げして、ワッショイ、ワッショイと祭りのようなにぎわいを見せていました。
しかし、室部落ではその所有をめぐって対立するようになりました。
明治時代となり、遂に裁判で決着をつける事になりました。裁判所に出頭した西荒屋住民に裁判官は「お前たち何しに来たのか」住民は「室の青塚の事について来ました」そこで裁判官は「室の青塚なら室のもので文句はないだろう」と、この言葉に長い間の対立は簡単に一件落着となった。
団九郎爺の捕鯨も費用がかさむので、わずか二年で姿を消し、その後大原と四ツ井都と言う人達も、ここを拠点に捕鯨を行ったが失敗し身代をつぶす破目になった。彼らは二度と捕鯨は行うまいとこの「青塚」に鯨の眼球を埋め祠を建てて祭ったそうです。

青塚史跡の思い出 室寿会 泉 義雄(昭和62年度会長)

室寿会と子供会の交流を歩こう会を兼ねて青塚史跡探訪を行ったのは昭和60年6月16日で、参加者は寿会22名子供会52名計74名の多数の参加であった。そのときの青塚は永年放置されてあったので、アカシヤのジャングルの中にあり役員の方の手にて道を切開きやっと古い石堂にたどり着いた。石堂は、半ば壊れ古い銚子と茶碗が供えてあった。  石堂の周囲には休憩する場所も無く、山下のラッキョ畑まで降りて長老の北喜三松さんより青塚史跡の由来について説明して戴く。子供会の皆さんもその由来を聞き遺跡の意味を初めて知った事と思う。      この青塚は、50年程前までは本当に鯨の寝ている姿の山にて青々とした芝生やハマナスの花が咲き乱れて居たとのこと、また室の青塚とするまでに西荒屋地区といろいろトラブルもあった由。内灘町として数少ない史跡を何とか史跡らしい場所にして欲しいものだと思って帰途につく。 そうした我々の願いを故人となられた宮本栄治氏の御芳志により、昭和61年4月に立派な石堂が建立され青塚の由来記の碑も出来、周囲に広い台地も造成されて室地区の只一つの史跡として道路の標識も出来本当に感激しました。  翌年から寿会会員数名にて歩こう会を兼ね、青塚清掃に参りこの史跡を室地区のシンボルとして益々充実した史跡として守って行きたいと思いました。 青塚までの道程は室公民館前より往復約6キロ位にて、ハイキングや歩こう会等に最適の場所と思いますのでぜひ青塚へ寄られて史跡の由来を知って戴きたいと思います。


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