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Muro Community Center

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〒920-0261 石川県河北郡内灘町室イ-79-1

室 祭礼muro festival


室の祭りについて

子供たちの祭礼の練習の音が聞こえてくる様になる頃 田の稲も黄金色に輝き 空は青く澄み 室地区の人達にとってすばらしい時がやって来る。
室八幡神社の御祭りだ。家の前の道路に塩をまき 神の渡御を待つ神輿の御神幸には 奴、獅子、笛や太鼓 区や神社の役員の人達がお供をする。
参加する人達又お迎えする人達が神と、まつわると云う事が祭りの語源だといわれています。
室の祭りはいつ頃から始まったのかハッキリわかりませんが安土桃山時代の天正15年(1587年)に大根布小浜神社の境内より室八幡神社が勧請(神仏の霊を分け移してまつる事)されています。
祭りの民俗芸能として 獅子舞 奴振り 神輿唄等があります。室では今迄、祭礼は年齢階梯制によって区分化されていた。小学生の時は棒振り 棒振りを終わった後は後輩の指導 青年に成ると獅子頭を持ち それをすませると奴振りをつとめ 終へると神輿かつぎと云う様に年齢によって分担されて来た。
現在 子供達や若者達の減少によって この制度もくずれ様としています。今後当地区の祭礼行事を区民みんなで考へて行かねばと思います。
室地区の特色有る民俗芸能を理解して頂く為神輿に関する事又神輿唄 獅子舞 棒振り等調べた事を紹介したいと思います。

室奴 五十年の歩み

室の奴は37年、当時42歳の厄年の方達が、用具一式を奉納した。それ迄は隣の西荒屋、宮坂、大根布、向粟ヶ崎が奴行列を出していたので、室でもと気運が高まったので有る。
奴の振りは大根布の奴の振りを習った。大根布から室に来た浜田茂幸さんを師匠とし、同じ大根布から転入した広瀬義則さんの指導をも受けた。
今から10年程前に振り手不足から中止の声も上がったが壮年会を始め区民の熱意により継続された。

平成15年には当時の厄年の人達を中心として傷みが激しかった奴用具一式が修復され、今年で50年の歳月を重ねる事が出来た。
最近御輿唄をあまり聞かれなくなったが、他の地区に比べ特色の有る花棒や15本の棒の振り方、又数え唄形式になっている御輿歌等、奴と共に祭礼の伝承芸能としていつまでも守り続けていって欲しいと願います。

神輿について

御神幸の時に神がのる輿で いつ頃から登場したのかハッキリしないが 奈良時代から平安時代頃からだといわれている。神輿を振ると神の霊魂が強く成るといわれているが 室の神輿も重く成ってからあまり大きく振られなく成った様に感じるが・・・
室の神輿には他地区と比べて特色が2点有ります。

1点は神輿についている華髪(ケマン)です。
普通ケマンは仏具として用いられています。
(長野の善光寺へ参拝した人は見た事が有ると思いますが大きなケマンが下がっています。)
仏具として用いられるケマンが神輿の装身具として用いられるのは珍しい事でその上製造年月日及び製造者を有するのは極めて重要との事。
参考 (1)内灘町史 金銅蓮唐草文華髪
   (2)七尾市史編さん室

花棒について

石川県の獅子舞は加賀の殺し獅子 能登の舞い獅子とに分けられる。室の獅子舞は殺しの獅子の類に成る。棒振りの流派には金沢の南部から石川郡の農村にかけて広く行われた半兵衛流で北部から河北郡にかけては土方流とその系統に属する柳川流に成る。室の棒振りは何流かは分かりません。小倉学先生によると室の花棒は純然たる棒フリ獅子とは云へず舞い獅子の要素が濃いとのことです。現在多くの棒の振り方がありますが、内灘においても資料(4)の様に多くの振りがあります。花棒と名のつく振り方は加賀地区の殺し獅子系では下記の5か所になります。能登の舞い獅子も花を持っているのもあると思いますが。
1   加賀市橋立町 30p 竹小塩町より習った
2   加賀市小塩町 40p 竹内灘町より明治30年頃習った
3   金沢市今町くさり鎌の前に花を持った人が舞う今は藩政時代から花づくりが盛んな所
4   津幡町潟端 68pの竹
5   室の花棒の説明は館報「青塚」に明證寺の前住職藤田賢信さんに書いて頂いた記事を紹介します。

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